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「バーナード嬢曰く。」×バイヤールコラボはよ/バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』

書評 人文科学 小説

 

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

 

 書店に並んでいたこの本の帯を見て、そこに町田さわ子の顔がなかったことにひどくがっかり。こんな本どう考えてもバーナード孃案件だろ!!! 早川書房がバーナード孃とコラボしてやってる「読破したふり禁止フェア」のコーナーに、こっそりこの本を置いておくイタズラをやってみたいと一瞬思ったけど、さすがにお店の人に迷惑かけるのはダメなので断念。うーん、そういう悪ふざけやってる書店ないかなあ。

 


この本はよく、「ハウツーに見せかけた立派なテクスト論」みたいな評価をされてるけど、ぼくは素直に冗談本の類いだと思った。そりゃあこの本で展開されているテクスト論的な議論は方向性としては間違ったものではないんだけど、基本的にはだいたい極論だ。たとえば著者は、ある小説を読まないでいたほうが、その小説の本質を見抜ける、みたいな話をする。けど、まあたしかにそういうこともあるかもしれないが、確率的にはどう考えてもちゃんと読んだほうがよいでしょう。こういう極論が中心なので、基本的にはこの本はお遊びだ。
そう、お遊びなのだ。そして、お遊びが悪いとはまったく思わない。この本のいたるところにある身も蓋もない議論はとてもおもしろいし、大掛かりな仕掛けもいくつかある(このことについては訳者解説でしっかりフォローされている)。ついでに、はじめのほうの、本を読んだ/読まないというのはデジタルなものでないという議論はかなり盲点で普通に感心した。
別役実のエッセイのようなものかな。この本をクソ真面目に受け取るのはさすがにまずいけど、楽しむ分には全然構わないし、ぼくはハウツーとして活用するのもありだと思う。

 

あと、この本を読むと、世の中の書評家が本当に本を読んでいるのかどうかわからなくなってくるのも面白い。いわば文学的ゾンビとでもいうべきか。このぼくも、本当にちゃんと本を読んでいるのかはわかりませんぞ。

なお、タイトルには「読んでいない本」とあるけど正確には「読んでいない小説」であることに注意。この本のなかで展開されている議論はもっぱら小説についてのことなので、読んでいない本一般にはちょっと成り立ちそうにないかな。読んだふりしてると山形浩生に吊るし上げられちゃうぞー

 



10/27追記

ド孃3巻にこの本でてくるみたいですね。ちゃんと調べていなくてお恥ずかしい限り……。