政治とブームに翻弄されたラテンアメリカ文壇史/寺尾隆吉『ラテンアメリカ文学入門』

 

 待望のラテンアメリカ文学の入門書が登場! 日本語で手軽に読めるラテンアメリカ文学の入門書は、今までは木村榮一『ラテンアメリカ十大小説』くらいしかなかったはず。しかも悲しいことにこの本は大した本ではなく、ブックガイドと作家の伝記的な情報にとどまっていた。

著者はコルタサルをはじめとする数多くの翻訳をこなしている上に、ラテンアメリカ文学ブームに踊らされることなく厳しくも冷静な評価を下している(らしい。他の本は未読)寺尾隆吉。その冷静な目線は本書でもちゃんと活かされているので安心。この本がラテンアメリカ文学を語る上でのスタンダードになってくれたらなあ。

 

ぼくはボルヘスとかカサーレスとかマルケスとか割りと好きだし、あと魔術的リアリズムみたいなジャンルも好きだったので、ラテンアメリカ文学一般には好印象を抱いている。ただその一方で、いくらラテンアメリカの文学をそんなにざっくりとくくっていいのか? と、漫然とした疑問を持っていた。
この本はその疑問の大部分を解決してくれる。まず、ラテンアメリカ文学といってもいろいろあるというのが一つ。第三世界的な「大地の文学」、アルゼンチンのラプラタ幻想派(ボルヘスとかカサーレスとか)、独裁者小説などなど、恥ずかしながら今まで聞いたことのない単語がたくさん。前にカサーレスの『モレルの発明』を読んで感動したはいいものの、「これが魔術的リアリズムというやつですか!!!」と思ってしまったんですが、この本読んだあとだとどう考えてもトンチンカンですねえ。
ただ、こういう勘違いが起こる原因は、ぼくがバカだということだけではないということも重要。だって賢そうな人でもこういう混乱起こしてることあるし。じゃあ、別の原因とはなにか? それはおそらく、フエンテスらによる、ラテンアメリカ文学のプロモーションと、その後の「ラテンアメリカ文壇」ともいえる、小説家たちの密接な共同体だ。そういったプロモーションなどは、世界に対してラテンアメリカ文学を売り込むことについては成功したが、その一方で個々の作品の本質を見誤る可能性を高くするようで。
面白いのは、そのあとに政治的対立によってリョサマルケスが絶縁したりして(「パンチ事件」とかいうのがあったそうな。木村の本とかでもこんな話見た記憶ないんだけど、ぼくが読み飛ばしてしまったのか?)、共同体が崩壊しても、それ以前のラテンアメリカ文学ブームが依然として巨大な影響を与えていること。寺尾のアジェンデ批判やボラーニョ批判なんかは、この文脈に当てはまるのかな。

 

全体として、冷静な判断を基にしていてかなりいい本だと思う。ちょっとでも興味あるのならぜひ。政治や文壇と小説の関係を見るときのケーススタディとしてもいい。ぼくの中にあったラテンアメリカ文学に対する不信感というか違和感も、結構解消されてすっきり。