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トランプ現象とテッド・チャン

雑文 小説 SF

 

あなたの人生の物語

あなたの人生の物語

 

 ぼくが記事を書くのをサボってる間にドナルド・トランプが大統領選で勝ってしまい、これは便乗記事を書かなければと思ってはいたものの、ぼくは別に政治にもアメリカ社会にも詳しくないので何も書くことがなかった。が、たまたまテッド・チャンというSF作家の短編集『あなたの人生の物語』を読み返していたら、(単なる面白さとは別の意味で)面白い短編があることに気づいた。それは「顔の美醜について」という短編だ。致命的とまではいえないものの、ネタバレあるので注意。

 

 

 

 

この小説に登場するSFガジェットは「カリー」と呼ばれるもので、正式名称を「カリーアグノシア(美醜失認処置)」という。読んで字のごとく、「カリー」を使うと人間の顔の美しさあるいは醜さがわからなくなる。ちなみにSF的な説明としては、性選択のために使われている神経をいじるんだとか。変な説明ではないと思う。

この小説は、その「カリー」を使う義務を大学の規定に盛り込むかどうかについての選挙を描いたものだ。誠実なことに、その規定に賛成する人も反対する人も、ひとりひとり違った論理・思考に基づいて賛成反対を決めている。だからブサイクは賛成/イケメンは反対みたいなクソ二分法に堕することはない。

で、オチをぼかして言っちゃうと、結局この選挙では反対派の不正が発覚してしまう。その不正によって反対派は64パーセントの支持を得てたんだけど、まあたぶん再選挙とかになるんでしょう(そこについては描かれていない)。そこらへん最終的な結果をうやむやにしているのでモヤモヤしつつ、まあそれはそれで奇妙な読後感があっていいと思う。

 

が、たまたまトランプの勝利の直後にこれを読んだぼくは、現実とこの小説との一致を見出してしまった。

この小説中の選挙は表面上はポリコレVS反ポリコレなんだけど、よくよく中身を探ってみると、それぞれを支持している人は別にポリコレだとか反ポリコレだとかに関心があるとは限らない。むしろ、得をするあるいは満足のいくような論理・思考をちゃんと述べ、自分の意志で賛成あるいは反対する(ちなみに、その多様性をフェイク・ドキュメンタリーの手法でうまく多角的に描いているのが、「顔の美醜について」のいいところである)。それはトランプ(別に安倍でもドゥテルテでもいいですけど)も同じことなのでは? 現実世界だと表面上の争いとその下での争いの一致は増えそうな気はするけど、それでもすべてがそんな単純に決まるわけではない。

そして示唆的かもしれないのは、不正によって64パーセントの支持を得た反対派だけれども、不正をしなかったら負けていたとは限らないということ。途中に出てくる意識調査では、賛成派54パーセント、反対派46パーセントという数字になっている。賛成派のほうが勝つ可能性は高いとはいえ、反対派が勝つことも十分に考えられる。ついでにこの小説はフェイク・ドキュメンタリーなので、このドキュメンタリーを作っている(架空の)人のことを仮定すると、このドキュメンタリーの中に出てくる賛成派・反対派の割合から選挙結果を推測することもできない。この微妙さ(と、でも普通に賛成派が勝つでしょみたいな変な安心感)、まさにトランプを思い出してしまう。

 

テッド・チャンは大人気のSF作家とはいえ、SFになじみのない人だと知らない人も多いだろう。なので最後に啓蒙もかねて紹介。

テッド・チャンは中国系アメリカ人のSF作家。短編ばっかり書いていてしかもめっちゃ寡作なのに、そのどれもが非常にレベルの高い短編で、費用対効果(人気/書いた小説の総量とでも定義する)でいえば間違いなくトップクラスの作家である。

SFとジャンル分けされはするものの、いわゆるロボットとか遺伝子とかAIとかみたいな「SFです~」って感じの作品はそこまで多くなく、言語とか宗教とかの話が好きっぽい。純文学の中でも幻想っぽいやつとか好きな人は親しみやすいと思う。

日本で出ている短編集は『あなたの人生の物語』だけなので、これ1冊読めば大丈夫。どれも質の高い短編ばかりなので、買って損する人はめったにいないはず。「顔の美醜について」も、上に書いたような政治的な議論だけでなく、ほかにも見所があるのでおすすめです。