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『私モテ』って今とんでもないことになってるのねー/谷川ニコ『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!(1~10)』

 

『私モテ』がアニメ化したときぐらいに(2013年の夏)、原作の最初の方を読んだことがある。あまりおもしろくなかった。実際、少なくとも2013年時点では、このマンガはたいしたものではなかったと思う。

でも……最近、「『私モテ』が変な方向に転がってきている」みたいな、変な話を聞いた。ちょっと興味が湧いたのでいまさらながら読んでみたら……『私モテ』って今とんでもないことになってるのねー。

 

 だいたい6~7巻ぐらいまでだと、やっぱりたいしたマンガではないと思う。主人公であるもこっちの言っていることに共感できる部分もあるにはあるけど、ちょっと異様なルサンチマンと露悪趣味は、読んでいて気持ちのいいものではないと思うし、パロディやら下ネタやらも別段面白いものではない。

ところが、8巻のあたり、より具体的には修学旅行編から、話の方向性が明らかに変わってくる。修学旅行で半強制的に知らない数人のクラスメイトと班を組まされたもこっちは、めんどくさがりつつもそのクラスメイトと行動を共にしたりしなかったりする。そのなかで、不思議なことにちょっとずつそのクラスメイトと仲良くなり、最終的には客観的に見てもまあ友達と言える程度には仲良くなってしまう。

この一連の流れが、もこっちにとってはかなり偶然に、受動的に起こっていることに注目。普通この手のマンガでは、個々のエピソードが積み重なってちょっとずつ登場人物の変化を描いていくようになっていく(「古典部シリーズ」の短編集とか思い浮かべるとわかりやすい)。だが『私モテ』では、もこっちは「できそうにないことは最初からやらない」的なパターンでしか成長をせず(いや、それすらしてないのかも?)、友達の作り方なんてたぶんわかっていない。それにもかかわらず、外的な要因によって友達はでき、その友達との関わりは明らかに楽しいものである(しかも元ぼっちなので友達付き合いのわずらわしい部分は切り捨てられる!!!!!)。だから、8~10巻あたりの話をまとめると、「友達の作り方なんてしらねーよ? あ、でも友達いると楽しいわー」という、身も蓋もない内容になってしまう。

が。よくよく考えてみると、「友達の作り方はわからないが、友達いると楽しい」というのは、ほとんど正しい意見なんだよね。『私モテ』は、極めてヒネた視点からスタートして散々悪口をぶちまけたにもかかわらず、なぜかこの極めてまっとうな結論に到達してしまう。なんでこんなことになっているのかはまだうまく整理できていないんだけど、それがまた、特に議論の必要もなくこの結論に一般性があることを示しているような気もしてきて……。

こういう、お説教じみたド正論は、本来であればあまり受け入れられないもののはず(ぼくも川端志季『宇宙を駆けるよだか』を読んだときに、そういうのにちょっとした反発を覚えた)。が、ここで、さんざん描かれてきた露悪趣味が活きてくる。どーしようもない醜態を晒していたもこっちのことを考えると、ヒネた視点からの批判なんてほとんど意味のないものになってしまうのだ。

 

どーでしょうこの変わり方。ぼくは決して悪いものではないと思う(ぼくは、やはり友達はいたほうがいいという、極めてジョーシキ的な意見を持っているので)。もちろん梯子を外されて憤慨する人もいると思うし、そこは人それぞれ。どっちにしろ非常に興味深い現象だとは思う。