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文章表現としての「進化」とかグールドとか/吉川浩満『理不尽な進化』

 

理不尽な進化: 遺伝子と運のあいだ

理不尽な進化: 遺伝子と運のあいだ

 

 すげー。
進化論をきっちりと理解した上で、そこから派生した進化論の歴史的・通俗的概念を書ききった本。ぼくが散々わめいていた進化論の通俗的理解について、わりと筋の通った(しかも意外と肯定的な)見通しを立てててびっくり。

 

このブログを読んでいる人は知っていると思うけど、ぼくはときどき進化論の通俗的理解を問題にしている。大田俊寛『現代オカルトの根源』の霊性進化論なる概念について、それが全然進化論じゃないという視点に欠けていることを批判したり、進化論のことを全然わかっていない日本のライターを晒し上げたりした。そういうことをしたのは、もちろんぼくが進化論オタクだからでもあるんだけど、もうちょっと健全な理由として、なるべくちゃんとした進化論を広めていきたいという思いがあるからでもある。
あと、むかし赤池学『生物に学ぶイノベーション』という本を試し読みして、序文に「進化論は、変化をするものだけが生き残るということを教えてくれる」みたいなことが書いてあってひっくり返ってそのまま読むのをやめたこともある(いやもちろん、遺伝子が突然変異を起こすという性質が、変化しやすい環境にその都度適応するための万能な仕組みとして便利だという意味では、進化論は変化をするものだけが生き残るということを教えてくれる。でもこの著者絶対そんなこと考えてないでしょ)。こういう文章を見るために、無知蒙昧な一般人どもをケーモーしていかなければ、と思っていた。

 

でも、吉川の態度はぼくとはちょっと違う。吉川は、世間で使われている進化論のおかしさ(曰く「非ダーウィン」)を指摘しつつ、それを完全にダメだとは言わない。そしてむしろ吉川はそれを、「言葉のお守り的使用法」(主観的な主張なのに客観的事実っぽく見える言葉)としてとらえる。そして、「適者生存」という言葉がトートロジーであることをしてきしつつ、むしろトートロジーだからこそキャッチコピーとして便利だという風に持っていく。
一応いっておくと、ぼくは、言葉のお守り的使用法だからといっても、それがトンチンカンな使われ方をすることをいいとは思わない。そういうものは、ラカン疑似科学の語法に近いんじゃないかと思う。みんながラカン疑似科学を批判すると同様に、進化論の通俗的理解も批判されるべきだと思う。あと、吉川は「みんな進化論が進歩とは違うことをわかっているんだけど、表現として非ダーウィン的な進化を語ってしまう」みたいなことを言うんだけど、そんなことないんじゃないかなー。象牙の進化記事で検証したとおり、やっぱり非ダーウィン的な進化論理解は強いんだと思う。
でも、ぼくの場合はそういう思いが強すぎて、なんでみんな進化という言葉を使いたがるのかということにまで考えが回っていなかった。「適者生存」というトートロジーな言葉が文章表現として便利だという指摘は、人々が無知なだけではなく合理的な主体であることを再確認させてくれる。

 

その他にも学べることはわりと多い。他の書評で散々言われている通り、グールドの大敗とそれに対する救済的な再評価は、進化論のみならずぼくたちの人生にも応用可能だ。あと、進化論大好きな人でも、加藤弘之なんかはなかなか手が届かないと思うし、トリビアを求めるような形で読んでみても収穫は多いと思う。

一応注意点としては、進化論そのものについての説明はあんまりしてくれない。さっきも言ったとおり、ぼくは吉川と違って、人々の意外と多くが非ダーウィン的な進化論理解をしていると思っているので、不親切さを感じる人はいるかもしれない。とはいえ、進化論オタクでもなければこんな本手に取らないかもしれないけど……。

 


おまけ。この本の次回作として、今西錦司や木村資生をばっさりぶった切るような本を書いてくれれば、たいへん面白い本ができると思うんだけど……。