やはりぼくたちに必要なのは実証的・統計的な研究だ/北田暁大ほか『現代ニッポン論壇事情』

 

 特にここ最近評判の良くなってきた、松尾匡ブレイディみかこ山本太郎あたりの、経済成長(というか反緊縮)をちゃんと意識する左翼への、北田暁大栗原裕一郎後藤和智というこれまたおもしろいメンツによる援護射撃。ぼくが過去に書いた書評を見てもわかる通り、ぼくもだいたい松尾らと同じ立場なので、この本も褒めたいところだが……。

 

実はぼくが一番示唆的だと思ったのは、パオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』を取り上げて、この本がいかに俗流若者論へのカウンターとして印象的だったかを述べるところ。それまでの印象批評的でエビデンスのない若者論の嘘を、統計とかを駆使した議論でマッツァリーノが暴いたことは衝撃的だったようで(とくに後藤にとっては)、それはその通り(とか書いてみたけど、『反社会学講座』がそういう文脈に位置するなんて知らなかったー! 俗流若者論が嘘っぱちなんて常識だろと『反社会学講座』をバカにしていたので、すさまじく反省しています……)。

だけど、そんなマッツァリーノの批判って、この本に対しても通用すると思うんだよね。北田らの議論も、それなりに見通しの良いものではあるんだけど、一方で印象論の域を出ていないんじゃないかというおそれはある。三人が連想ゲームみたいな感じで繋がりそうな名前を繋げていくのは、たしかにロスジェネ時代の論壇のアウトラインを描くために有用そうではあるのだけれど、本当に連想ゲームになってしまう危険を孕んでいることには注意すべき。

もちろん鼎談という形式のせいでもあるのだろう。だからこそ、これで終わりにしてはいけない。北田はバリバリアカデミズムの人なので心配ないと思うし、栗原も毎月文芸誌を全部読むというものすげー苦行をやっているので、それを活かした形で文芸誌の網羅的な分析とかできそう。後藤のことはぼくは全然知らなかったのだけれど、この本を読む限りだと統計っぽい手法でヘンな分析をやっている人みたいなので、おもしろい研究は出てくると思う。いずれにせよ、そういった形での、もっと実証的・統計的な研究が必要なのだ。

 

っていうような欠点があるけれども、それでもこの本は読む価値のある本だ。まず、ロスジェネという視点から知識人の言動を考察するという試み自体、わりと独自性のある議論だ。このことは、アベノミクスのおかげで(比較的)恵まれた環境にいるぼくたち若者にとっては気づきにくいことだったので目から鱗。また、経済絡みでひでーこと言ってる人リストとしても使える。あとこれはポジションの問題ではあるんだけど、反緊縮の立場からいくら印象論を言っても、その議論の雑さのせいで不幸になる人は少ない、というところはこの本の軽薄な部分を救っていると思う。

でも、必読書って感じではないよなあ。どっちかっていうと、反成長論絡みの話でわけわかんなくなったときに読み返してみると、意外な示唆が得られる本なんじゃないか。

反社会学講座 (ちくま文庫)

反社会学講座 (ちくま文庫)