これがゲーム的リアリズムですか/白石晃士「戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 最終章」
なんか見たことあるなーと思ったら、指を切る試練とか人を殺す試練とかがPS3のゲーム「HEAVY RAIN 心の軋むとき」に似てる。そして気づいたんだけど、これってゲーム的リアリズムなんじゃね?
「ゲーム的リアリズム」というのは東浩紀が提唱した概念で、現代においてはループや選択肢といったゲーム的な手法がリアリティを持つということ。東はこの概念をもとに、桜坂洋『All You Need Is Kill』や舞城王太郎『九十九十九』などを分析している。
が、ここではその「ゲーム的な手法」というのをもう少し広く考えてみよう。ゲームではよく、なんでやる必要があるのかよくわからないミッションを課され、それをこなすとなぜか報酬がもらえる。だからぼくたちはゲームで、報酬をもらうことを目的によくわからないミッションをこなし、よくわからないまま報酬をもらう。これも、「ゲーム的な手法」といえなくもないだろう。
これってまさに「最終章」でやっていることそのままですよねえ。なんでパンツを食べたり指を切ったり人を殺したりする必要があるのかはまったくわからないんだけど、田代(白石晃士)は工藤(大迫茂生)や市川(久保山智夏)を助けるためにそういうミッションをこなし、実際に工藤や市川は助かる。
ところで、こういう「なんでやる必要があるのかよくわからないミッション」がたくさんあるゲームは普通、「お使いゲー」と揶揄されている。そう考えると、この映画も「お使い映画」といえるのではないか。だからこそ、この映画はあまり面白くないのだ。
ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)
- 作者: 東浩紀
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/09/28
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