なんで科学考証ダメなのに進化論は異様に正確なの?/クリストファー・ノーラン「インターステラー」

 まず、5次元空間に入ってからの怒涛の展開は、信頼と安心のノーランといった感じ。ここの要素がトンデモのように見える人もいるみたいだけど、むしろややトンデモ入っているからこそノーランの本領が発揮できるのではないか。だから終盤の展開は圧倒的に面白いと思った。

 

……そう、「ややトンデモ入っているからこそノーランの本領が発揮できる」のだ。裏返して言えば、トンデモが介在する余地のないSF部分においてはかなりダメダメ。「この映画は科学考証の正確性がすごい」という評判を目にしていたのだけど、全然そんなことないじゃん。科学知識なんて全然ない人でも、地球から宇宙に飛び立つときには3段式ロケットを使わなければならないのに、水の惑星や氷の惑星から宇宙に脱出するときは小型シャトルで大丈夫だというのには、確実に違和感を覚えるだろう。

科学考証以外の部分でも、たとえば「独り身の天才科学者を一人で惑星に送り込んで、そこが居住に適しているかどうかを調べてもらう」なんて、そんなアホな計画実行するかあああああああああ!!!!! そりゃあマン博士(マッド・デイモン)も嘘つくわ。ノーランも5次元空間に行って稲葉振一郎『宇宙倫理学入門』を100回くらい読んでほしい。

一応擁護もしておくと、ウィキペディアを見る限りでは、どうもこの映画の科学考証担当のキップ・ソーンという人は、「ワームホールブラックホールをできる限り正確に描写する」ことに力を注いだようなのね。だから、おそらくソーンのせいでSF設定が無理あるというわけではないのだろ。とはいえ、少なくとも「科学考証が正確」という評判は明らかに間違いだ。

 

ところが、実はこの映画、進化論絡みのセリフが異様に正確だ。

特にぼくの印象に残ったのは2つ。1つ目は、水の惑星から脱出した後、マンが行った氷の惑星とエドマンズが行った惑星のどちらに行くかを選ぶシーン。このシーンで、アメリア(アン・ハサウェイ)は「ブラックホールのせいで生物の突然変異が起こらないから微生物もいないので、マンの惑星ではなくエドマンズの惑星に行くべき」と言う。最初このセリフを聞いたときぼくは、「は? なにわけわかんないこといってんの?」と面食らってしまったのだが、その直後に、アメリアの一連の発言が、恋人であったエドマンズの惑星に行くためのものであったことに気づく。つまりここでは、ブラックホール云々がデタラメであるということこそが、アメリアの必死さを表しているというわけ。ここらへん、伊藤計劃虐殺器官』のルツィアのデタラメ進化論のような仕掛けに見え、進化論オタクとしては大変ニヤニヤさせていただいた。

もう1つは、どのシーンかは忘れたのだけど、「人類は種の保存のために行動しない」というセリフ。はい、まったくその通り。さらにその直後に「家族や友人のために行動できる」という話が繋がり、血縁淘汰や互恵的利他主義を想像せずにはいられない。さらに深読みすると、そこら辺の話を受けると、宇宙進出プロジェクトのリーダーであるジョン・ブランド(マイケル・ケイン)が娘のアメリアを宇宙に送った理由が、まさにアメリアが娘であり、自身と共通する遺伝子を多く持っているからのように見えてくるという構造。さすがにそこまで考えてはいないのかもしれないが、それでも未だに種の保存がどうこう言っている人が多い現状を考えると、すごく褒めたくなってしまう。

 

というわけで、全体的にはSF映画としては褒められないような印象。が、ぼく自身が宇宙とか物理学とかよりは進化論に関心があるというのもあり、嫌いになれない……。

 

宇宙倫理学入門

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虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

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