人文系ヘタレ中流インテリのための進化論入門/吉川浩満『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』

 『理不尽な進化』の著者・吉川浩満によるエッセイ集。進化論や行動経済学によって大幅な転換が起こった21世紀の人間観に基づいて、さまざまな議論を展開している。

……が、残念ながら議論自体には物足りなさを感じる部分が多かった。これは、細かい議論を行うことが(主に紙幅の問題で)できないからなんじゃないかと思う。「進化論は大事」という前提を「〇〇は大事とされてきた」という事実と組み合わせて「進化論と〇〇を組み合わせて考えてみよう!」としてしまうのは、気持ちとしてはわからなくもないが、その一方で「安直な思いつきなんじゃないの?」というツッコミもしたくなる。『理不尽な進化』みたいには議論の必要性を十分説明できてない感じ。

そうでないエッセイもあるにはある。ただ、それらのエッセイは、吉川オリジナルの議論というよりは単なる他の人の議論のまとめに終わっている。もちろん、アンチョコあるいはブックガイドとしてはこの上なく有用ではあるんですが、やっぱりそれ以上の価値があるとは思えない。

 

ただ、この方面の知識を知らない人が読むとすれば、話は別である。吉川は、われわれの人間性がいかに進化論中心の観点から説明可能かを、とても手際よく説明する。普通の「進化論入門」みたいな本だと、別に著者は人間観の革新なんて意識していないと思うので、進化論がなんで重要なのかはちょっと理解しにくい。そのような進化論と人間観のつながりを、この本はちゃんと埋めてくれる。

稲葉振一郎は自身が書いた経済学関連の本を「人文系ヘタレ中流インテリ」のための本と呼ぶことが多い。それに倣うとしたら、吉川のこの本はまさに「人文系ヘタレ中流インテリのための進化論入門」といえるだろう。


おまけ。

吉川 (注:『理不尽な進化』の結論について)進化と絶滅の理不尽さをめぐるドーキンスとグールドの論争を「説明と理解」という枠組みを用いて提示したという点ですね。これは一九世紀ドイツに始まる実証主義と歴史主義の論争の重要な論点でした。自然科学による因果的説明だけでは歴史を理解することはできないのではないか、と。そこで「説明と理解」という二つのモードを認めるという調停がなされたわけですが、これは明確にカント主義的な図式です。(大澤真幸、千葉雅也、吉川浩満「絶滅とともに哲学は可能か」吉川浩満『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』河出書房新社、2018年、pp.179-180)

 そんな(注:進化論をベースにした学問が発達した)時代に、「ヘーゲルが……」とか「カントによれば……」とか言われても困ってしまいます。(橘玲吉川浩満「『利己的な遺伝子』からはじまる一〇冊」吉川浩満『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』p.272)

対談相手の橘玲がこんなことをいってるとき、吉川はどんなことを考えてたのだろうか。

 

理不尽な進化: 遺伝子と運のあいだ

理不尽な進化: 遺伝子と運のあいだ