反知性主義のせいなのか石器時代の心のせいなのかどっちつかず/三井誠『ルポ 人は科学が苦手』

ルポ 人は科学が苦手 アメリカ「科学不信」の現場から (光文社新書)

ルポ 人は科学が苦手 アメリカ「科学不信」の現場から (光文社新書)

 

 この本の帯には「現代人には石器時代の心が宿っている」とある。なので、進化心理学援用しつつアメリカの科学関連の話をルポルタージュするのかなーと思って読んでみると、これがいまいちはっきりとしない。一応進化心理学の話もちょこちょこは出てくるけど、それよりもこの本の主題になって(しまって)いるのは「反知性主義」(ホフスタッター的な意味の方の)だ。

 

反知性主義アメリカで特に強烈であるといわれており、それは歴史的経緯によって説明されることが多い(とかいいながらぼくもホフスタッターの本とか森本あんりの本とか全部読んでないんだけど。あとでちゃんと読みます)。もし科学不信を反知性主義に求めるとすれば、アメリカで科学不信がめちゃめちゃ強いという話とも整合性はとれる。

一方、帯や本の紹介文で強調されているのは進化心理学的な観点だ。進化心理学では、われわれ人間の脳は石器時代の環境に適応しており、そのため現代社会とうまく折り合いがつかないことがある、という主張が一般的だ。そしてこの本では、そこに科学不信の原因を求めようとしている。タイトルの「人は」という部分も、普遍性を強調したいんだと思う。でも……だったらなんでアメリカ以外の国ではここまで科学不信が強くないの? 進化心理学的な洞察は通俗レベルにとどまっていて、根拠としてはけっこう弱いように感じる。

ついでに、石器時代の心=科学が苦手というのも単純すぎる気がする。網谷祐一『理性の起源』ではこれとはまったく逆に、科学的に考えるということが石器時代の環境への適応の産物だということが主張されていたりする。まあどちらか選べといわれたらぼくは三井の方に賛成したくなるけど、それでも図式の単純さは否定できない。

というわけでこの本では、アメリカの科学不信の原因は反知性主義なのか石器時代の心なのかどっちつかずになっている。まあどっちも原因としては考えられるんだけど、大した根拠にもなっていないのにわざわざ進化心理学を援用した意味がわからない。そしてそのどっちつかずさは、日本人であるぼくたちがこの本を読む態度にも影響してくる。もし、科学不信の原因が石器時代の心なら、アメリカの事例を他山の石にしなきゃいけない。でも、原因が反知性主義だったら、対岸の火事ってことになっちゃわない? 結局この本をどう読めばいいのかよくわからなかった。

 

ちなみに、アメリカの科学不信のルポとしてはとてもいいと思います。

 

アメリカの反知性主義

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反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

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理性の起源: 賢すぎる、愚かすぎる、それが人間だ (河出ブックス 101)

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