電子書籍の引用が浸透しない理由

割と最近になってから電子書籍を頻繁に使うようになって驚いたこと。電子書籍の引用方法って全然浸透していないんですね。考えてみると、レポートの書き方やら引用の作法やらを見ても、電子書籍の引用のフォーマットはあまり見なかった気がする。

このことに気づいた時、最初は「バカなジジイ教授どもが電子書籍の使い方もわからないからまともに浸透しないんだろう」などと不敬なことを思ったりもした。しかし考えてみると、その原因は図書館にあるような気がして、事情はそんなに単純ではないように思える。解決策も、一応いろいろ考えてみたけど……。

 

 

引用の作法は読み手の検証労力を減らすためにある

たとえば。次のような文章をどう思うか。

①「クルーグマンは、生産性の成長を促すことのできる政策はほとんどないと言っている」

かなり不親切だと思う。この文章に疑問を持ったとして、どう探せばいいの? 本屋に行って片っ端からクルーグマンの本を読むなり、ググるなりすればそれっぽい答えは見つかると思うけど……。

 

で、一段階親切度を上げてみた。

②「クルーグマンは著書『クルーグマン教授の経済入門』で、生産性の成長を促すことのできる政策はほとんどないと言っている」

これで多少は探しやすくなる。たぶん多くの本屋には『経済入門』は置いてあると思うので、そんなに労力はかからない。

ただ……『経済入門』は何度も再刊されている。その事実をぼくは知っているけど、この文章を読んだ人が全員知っているわけがない。そして、そこの齟齬から変な勘違いが発生することもないわけじゃない。

 

ということでほぼ完璧なバージョン。

③「クルーグマンは、生産性の成長を促すことのできる政策はほとんどないと言っている(ポール・クルーグマン山形浩生訳)『クルーグマン教授の経済入門』2009年、ちくま学芸文庫、p.39)

これで相当検証がしやすいはずだ(そして『経済入門』の引用箇所を読めば、このまとめかたが結構雑だということもわかると思う)。

 

さて、ここで重要なのは、①の文章と③の文章は、読み手が必要な検証労力は大きく減っているが、書き手(ぼく)の労力はたいして増えてないという点だ。そりゃあ③の文章を書くのはほんのちょっと面倒だけど、数十秒あればできる。

この、書き手側の小さな労力(ローコスト)と読み手側の大きな労力削減(ハイリターン)というアンバランスが、引用という制度を成り立たせていると思う。つまり、「文章書くときにお互いにローコストを払って、ハイリターンでトータルで得をしましょう」ということ。まあ合理的だと思う。

 

電子書籍の引用が浸透しないのは図書館のせいかもしれない

さて本題。なんで電子書籍の引用は浸透してないのでしょーか?

パッと思いつくのは、年配者が電子書籍の使い方を知らないから、という説明。まあよくありそうで、わかりやすいでしょうな。kindleがパソコンとかスマホで利用できるとか、多分知らないだろうし。実際若年者層のほうが使用率高いようだし(データの信ぴょう性はちゃんとチェックしてないけど、まあ大きく間違ってるってことはないでしょう)。

でも……これだと、ウェブページの引用はかなり浸透していることの説明が微妙につかない。ウェブページの引用については、内容の信ぴょう性や更新日などについての念押しはよくされているとはいえ、引用自体が浸透していないっていうことはまずないからだ。

 

じゃあなぜ浸透しないのか。ぼくの考えた仮説は、「図書館があるから」。

もうちょっと突っ込んで考えてみよう。さっきの引用の例で「読み手の検証労力を減らす」ということを強調したけど、実際のところ検証労力は0にはならない。その理由は、もちろん単純な探す手間もあるけど、それよりも「そもそもその現物の本を手に入れないといけない」というところが大きい。

ところが、本の場合は図書館を使えば割と簡単に現物の本を手に入れることができる。もちろん図書館に行って本を探すという労力は必要だけど、(特に引用という制度をよく利用する研究者などは)大学図書館が近かったり、他の本を借りるついでに借りたりできるから、必要な労力は大きく減る。

では、電子書籍はどうか。これは厄介である。電子書籍の場合だと、わざわざ検証のために金銭的コストを払わなければいけない。これは物質的にも精神的にも地味に大きなコストである。図書館に行けばタダで現物の本を手に入れられるのに……と考えてしまう人はたぶん多いと思う。

これ、まあまあ説得力のある仮説じゃないかな? この考え方ならウェブページの引用は浸透しているということとも矛盾しないし(タダだしすぐ見れるから)。

 

じゃあどうすればいいの?

どうすればいいんだろう。実はこれ、結構解決が難しい問題だと思う。

 

まず、書き手が電子書籍を使うときでも、引用の情報としては紙の本の情報をのせること。まあ一番穏当だし、実際今この方法をとっている人は多いと思う。

でも……これかなり効率悪いと思う。さっきの引用制度の説明で挙げていた「書き手のローコスト」が無くなるわけだから。あと、こういうことをやっているとそもそも電子書籍の引用が浸透しないという問題もある。

似たような方法で、Googleブックスを使うとかもある。これは結構いい方法だと思う。ただ一手間かかることには変わりない。

 

じゃあ、いっそのことガン無視しちゃえば? 書き手は電子書籍の情報をちゃんと書く。読み手は電子書籍で買うか、自分で頑張って紙の本で探すかすればいいんじゃない?

これは、「読み手のハイリターン」が無くなってしまうのが痛い。あと、カタブツの教授なんかは絶対認めないでしょ。書き直しとか言われたらさらに書き手の労力が無駄にかかるし、単位とか落としたりしたら最悪だ。

もうちょっと読み手に配慮した方法として、電子書籍の引用箇所をパーセントでも表示して、紙の本でもおおまかな位置がわかるようにする、という方法もある。これはまあまあいい方法だとは思うけど、根本的な解決にはならない。

 

じゃあもっと大規模な解決策として、図書館で電子書籍も取り扱うようにすればどう?

理想としては素晴らしくても、現実的にはありえないでしょう。図書館は在庫の量を制限することによって、人気の本は簡単に借りれないという状況を作って、本を買うことの意味を確保しているわけですから。物理的な制限の存在しない電子書籍を取り扱う図書館というのは考えられない。

最近はじまった「kindle unlimited」は、有料図書館として使うことができるのでは? と思った。けど、読み放題対象が限られすぎていて全く使いものにならない。4000円ぐらいで全電子書籍読み放題とかだったら使えるかもしれないが……。

 

結論

根本的な解決無理じゃねこれ。いろいろと多少の参考にはなりそうな考察はできたと思っているけど、どれも決定的な解決には程遠い。なんか革新的な解決策はないものか……。