凡作を通じて過去の読書体験を葬るということ/江波光則『鳥葬』

 

鳥葬 -まだ人間じゃない- (ガガガ文庫)

鳥葬 -まだ人間じゃない- (ガガガ文庫)

 

 個人的に、とてもつらい読書体験だった。

 

まずストーリーがいまいち。たぶん江波は、わざとものすごく地味なストーリーを描こうと思って描いているんだけど、だから当然あまり面白くない。「インターネットのしがらみプラス不透明感」みたいなことがテーマなんだけど、この本が書かれた2013年ならいざしらず、今ではこういうテーマは小説で扱うには陳腐なものになってしまっているのでは。もしかすると、これはぼくが長い間この本を積んでいたのが悪いのかもしれないけれど、だからといって耐用年数の低い本が正当化されるとは思えない。

それから、瑛二というキャラクターをなんで出したのかがまったくわからない。このキャラはとんでもなくリアリティがなくって、犯罪とかいろいろやってもなんでかしらないけれど捕まらないで云々みたいな(説明にもなっていない)説明が出てきて一気に冷めた。一応リアル路線で書いてるっぽいのだけど、だからこそこのキャラの違和感が半端じゃない。

また、衒学趣味(しかもそのくせ薄っぺらい!)もうっとおしい。ディックだのケルアックだのヘッセだの引っ張ってきても、本来ラノベ読者として想定されている(?)中高生に対するこけおどしぐらいにしかならないと思う。てか、子供から大人へみたいなことをテーマにして、ラファティ引っ張ってきてるんなら、「カミロイ人の初等教育」ぐらい絡めてみせろやああああ!!!!(これはぼくがお気に入りのラファティの短編が「カミロイ人の初等教育」だというだけなので言いがかりではある。でもこの程度の小賢しい衒学すらできないなんて……)

 

というわけで、あまり面白くはなかった。でも、一応江波光則はそれなりの筆力はあるので、絶望的につまらないというわけでもない。だから普通なら、「つまんねー本読んじゃったな」くらいで済ませるところだ。

でも個人的には、それだけでは済ますことができなかった。なぜかというと、ぼくは江波光則にちょっとした思い入れがあったからだ。

 

ぼくは5年くらい前は、年200冊くらいラノベを読むようなラノベ読者だった。それだけ敬虔にラノベを読んでると、どうしても面白いラノベばかり読めるというわけにはいかず、つまらないラノベもいっぱい読んでしまっていた。

そんな中で、江波光則はずば抜けて面白いラノベを書いていた印象があった。はじめて『ストレンジボイス』を読んだときの衝撃は忘れられない。『ペイルライダー』の圧倒的な暴力性もよかった。いまぼくはあまりラノベを読んでおらず(最近またちょこちょこ読んでるけど)、当時読んでいたラノベの大半は売ってしまったけれど、思い入れのあるラノベは50冊くらい残してあって、その中には『ストレンジボイス』も『ペイルライダー』も入っている。

でも『鳥葬』を読んだ限りだと、当時の印象はかけらも見当たらない。

これは、たまたま『鳥葬』が凡作だっただけなのだろうか? それとも、ぼくの目がそれなりに良くなって、江波光則なんてくだらない一ラノベ作家にすぎないということに気づいてしまったのか? よくわからない。できれば、前者であってほしいと願っているが、後者である可能性ももちろん存在する。ぼくの本棚にまだ残っている『ストレンジボイス』や『ペイルライダー』を読み返せばどちらなのかは判明すると思うけど、もし後者であったらとてもつらいので、怖くて今はまだ読み返せない。

 

ただ、その一方でぼくはいま、積極的に本棚の本を減らしている。それは、売ればほんのちょっとのお金になるというのもあるけど、それ以上に無駄なものを持ちたくないという考えが大きい。それでも、なんとなく思い入れのある本はちゃんと手元に残している。

が、『鳥葬』を読んでぼくが気づいてしまったのは、その「なんとなく思い入れのある本」の一部が、今のぼくにとっては凡作であるかもしれないという可能性だ。そのことに気づいてしまうと、リテラシーのたかーいワタクシの選んだすばらしー本棚だと思っていたぼくの本棚が、急にくだらない本の集まりに見えてきてしまった。そういう意味で、個人的に、とてもつらい読書体験だった。

ストレンジボイス (ガガガ文庫)

ストレンジボイス (ガガガ文庫)

 
ペイルライダー (ガガガ文庫)

ペイルライダー (ガガガ文庫)