「ヤバい経済学」で涙ぐんでしまうとは/スティーヴン・レヴィット、スティーヴン・ダブナー『超ヤバい経済学』

超ヤバい経済学

超ヤバい経済学

 

 『ヤバい経済学』は、経済学や統計学の手法を犯罪の統計から大相撲の試合結果まで、さまざまなものに応用したことで有名だ。そしてそれらの研究自体が興味深いだけでなく、語り口も大変面白い。だから、読んでいて笑いを堪えるのが大変だ。

ただその一方で、「経済学や統計学をさまざまなものに応用する」というコンセプトは、「議論が体系的にならず、散漫になってしまう」という問題を必然的に引き起こす。なので、読んでるときは楽しいけどあんまり頭に残らない、という人もそれなりにいるはず。

続編の『超ヤバい経済学』も、基本的には前著と同じ。本書の議論は大変刺激的で面白い一方で、散漫な議論にはやはり馴染めなかった。

 

なんだけど……。

 

本書の白眉は、3章の「身勝手と思いやりの信じられない話」だろう。まずキティ・ジェノヴィーズ事件(女性が暴漢に襲われ殺された事件。38人もの目撃者がいたにもかかわらず、誰も警察に通報しなかったことが全米で反響を呼んだ)に触れ、人間には思いやりなんてないという悲観的な話が全米に広がっていった、ということを確認する。

そしてアメリカの犯罪率の増加について触れた後、続くのは行動経済学批判。人間にはそもそも「思いやり」を重んじる傾向がある、というのが行動経済学の標準的な見方だけど、レヴィットらはそういう行動経済学の実験そのものに不備があると指摘する。実験をいろいろな方法で変えてみると、「思いやり」はあっさりなくなってしまうこともあるそうな。ここでも、人間には思いやりなんてないんじゃないか、ということが強調されている。

ところが、これだけ人間の思いやりのなさを強調した後で、この章の最後に議論するのは……再びキティ・ジェノヴィーズ事件だ。レヴィットは、事件の報道がかなり誇張されていたということを、インセンティブを明らかにしながら示していく。報道する記者にも警察にも、「38人もの目撃者がいたにもかかわらず、誰も警察に通報しなかった」ということにするインセンティブがあったそうな。さらに、目撃者も実はある程度通報しようとしていたということも明らかになる。そして最後にたどり着いたのは、事件の犯人を捕まえることとなったきっかけもまた、「人間の思いやり」であった、という結論。

 

いやー、恥ずかしながら、ぼくはとても感動してしまいましたよ。今までさんざん笑わせられてきた「ヤバい経済学」で、まさかちょっと涙ぐんでしまうとは。この章は、話の構成がものすごく巧みで、これだけで一種の「文学」と言ってしまってもいいと思う。そしてこんなことができるのであれば、それ以外の散漫な議論も大目に見てしまいます。

 

ヤバい経済学 [増補改訂版]

ヤバい経済学 [増補改訂版]