「レヴィットの大相撲研究は行動経済学」?:あるいは「行動経済学」という名称のややこしさについて

ヤバい経済学 [増補改訂版]

ヤバい経済学 [増補改訂版]

 

  『超ヤバい経済学』を読んでいたとき、気になることがあったのでGoogle検索をしていたところ、たまたまこんな記事が引っかかった。

zuuonline.com

 記事自体は、セイラーのノーベル経済学賞受賞を解説したものなんだけど、冒頭にこんな一節がある。

もう10年前になるが、シカゴ大学のスティーブン・D・レヴィット氏が著書『ヤバイ経済学』の中で、大相撲について衝撃的な調査結果を披露した。

レヴィット氏は11年間にわたり3万を超える割り(試合のこと)データを調べ上げ、その結果、「7勝7敗の力士と8勝6敗の力士が対戦すると、前者の勝率は8割に達する」との結論に達した。

勝率があまりにも偏っている、つまり人間は必ずしも合理的な判断・行動をとらないことをデータは物語っている。こうした手法も行動経済学の一つである。

 え???????

 

レヴィットの大相撲についての研究を確認しておこう。レヴィットが行ったのは、膨大な取り組みの勝敗を調べることだ。レヴィットは、「本場所15試合で勝ち越せば番付が上がり、負け越せば番付が下がる」という相撲特有のルールに注目したうえで、「7勝7敗の力士と8勝6敗の力士が対戦すると、前者の勝率は8割に達する」ということを発見する。そしてここから、相撲には八百長があるのではないか、と推測する。

もちろんそれだけだと、7勝7敗の力士が必死になって番付を上げようとしただけなのかもしれない。だからレヴィットは、「7勝7敗の力士と8勝6敗の力士が、次の場所でどちらも7勝7敗でないときに当たる」(スティーヴン・レヴィット、スティーヴン・ダブナー『ヤバい経済学[増補改訂版]』東洋経済新報社、2007年、p.48)場合はどうなるのかを調べる。すると、なんと今度は7勝7敗の力士は4割しか勝てないとのこと。さらに、八百長が疑われるような報道が流れた直後の本場所だと、このような不自然な偏りはなくなってしまうとのこと。

これらのデータからレヴィットは、力士たちのあいだで取り引きが成立していると結論づける。さらに論拠の補強として、相撲社会では力士同士が密接な関係を築いているということなども挙げている。

 

さて、レヴィットのこの大相撲研究は、どのように解釈できるだろうか?

一番単純な考え方は、力士たちがお互いの利己性を最大限に発揮し、八百長をしているという解釈だ。ちょっと勝ち数に余裕のある力士は、勝ち星を金銭で売っているのかもしれない。

あるいは、そういう明確な不正ではなく、互恵的な利他行動があるのだと解釈するのもそれなりに自然だろう。密な関係を築いているムラ社会においては、互恵的な利他行動はとても大きな自己利益を発生させる。そういう行動であれば八百長であっても心はあまり痛まないのかもしれない。

いずれにせよ、レヴィットが主張しているのは、大きなインセンティブが原因となって力士たちは八百長をしているということだ。決して「人間は必ずしも合理的な判断・行動をとらないことをデータは物語って」はいない。レヴィットの研究が正しいのかどうかは別にして、レヴィットの大相撲研究は、人間がかなり合理的な判断に基づいて行動している(だから力士たちは自己利益に基づいて八百長をしている)、ということを主張している。

 

ということで、レヴィットの大相撲についての研究は、行動経済学とは無関係。それどころか方法論としては正反対だ。ついでにいえば、レヴィットは一部の行動経済学についてかなり批判的(『超ヤバい経済学』を参照せよ)なので、レヴィットの研究を「行動経済学」と呼ぶこと自体がレヴィットをバカにしている、ともいえる(とはいえ、レヴィットも行動経済学を応用することはあるんだけれども)。

一応いっておくと、この「ZUU online」というメディア自体、なんだかうさんくさいメディアっぽいので(この記事も大して読まれていないっぽいし)、その記事の質が悪いというのも仕方がないといえば仕方がない。ただ、ちょっと調べてみたところ、『ヤバい経済学』に対して「行動経済学の本」と言っている人も少数見られたので、間違いは正しておくに越したことはないはず。

 

ただ……これ、「行動経済学」という名称も悪いような気がするんだよね。

Wikipediaの「行動経済学」の項目を見てみると、行動経済学は端的に、「心理学的に観察された事実を経済学の数学モデルに取り入れていく研究手法である」と定義されている。そして実際に行動経済学で扱われるのは、「心理学的実験で観察された、客観的に見て不合理な事実」であるといっていいはず。

友野典夫行動経済学を「人は実際にどのように行動するのか、その行動の結果として何が生じるのかといったテーマに取り組む経済学」(友野典夫行動経済学光文社新書、2006年、p.23)と定義しているけど、この定義はかなり不十分と言っていいだろう。なぜなら、行動経済学は、「人があるインセンティブにもとづいて、かなり合理的にある行動を取る」といったレヴィットのような研究分野をまったく扱わないからだ。

そう、非常にややこしいことに、「行動経済学」は「人間の行動について経済学的な分析をする学問」ではないのだ。そういう分析は、行動経済学以前の経済学でも行われている。でも、冷静に考えると、「行動経済学」が「人間の行動について経済学的な分析をする学問」だと思われるのは自然なような気もする。このややこしさが「レヴィットの大相撲研究は行動経済学」みたいな変な誤解を産む原因になっているのかもしれない。

 

超ヤバい経済学

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行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)

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