泥臭く真実を追い求めた男の話で、ポスト真実の時代におすすめの映画/ジェームズ・ソロモン「38人の沈黙する目撃者」

www.netflix.com

 

キティ・ジェノヴィーズ事件という事件がある。概略は以下の通り(面倒なのでWikipediaの引用)。

キティ・ジェノヴィーズ事件とは1964年3月13日、アメリカニューヨーク州クイーンズ郡キュー・ガーデン地区で発生した殺人事件である。この地区に住むキティ(Kitty)ことキャスリーン・ジェノヴィーズ(Catherine Genovese)が帰宅途中であるキューガーデン駅の近くで暴漢ウィンストン・モースリー(Winston Moseley)に殺害された。ニューヨーク・タイムズは、彼女は大声で助けを求めたが、近所の住人は誰ひとり警察に通報しなかったと報じた。この事件がきっかけとなり、傍観者効果が提唱された。

 この事件、アメリカを中心に多くの人にかなりショックを与えたようで、傍観者効果という言葉は心理学の教科書にも載っているらしい。そしてジャーナリストのローゼンタールという人は、『38人の沈黙する目撃者』という本を書いてベストセラーになったそうな。

 

で、この「38人の沈黙する目撃者」という映画は、ローゼンタールの本の映画化……じゃないんだよねー。この映画は、キティの弟・ウィリアムが、事件発生から50年後の現在において、あらためて真実はどのようだったのかを調べるというドキュメンタリー映画なのだ。

なぜあらためて真実はどのようだったのかを調べる必要があるのか? これには背景がある。実は、キティ・ゼノヴィーズ事件の報道やローゼンタールの本は、誇張表現や嘘がかなり混じっているらしい(伝聞。まだローゼンタールの本読んでません。間違ってたらごめん)。事件から40年後にニューヨークタイムズは、これらの報道の信憑性が疑わしかったという検証記事を出しているし、経済学者のスティーヴン・レヴィットも『超ヤバい経済学』の中で、この報道の疑わしさを分析している。

それらを背景に、ウィリアムはおそろしく丹念な調査をする。びっくりしたのは、ウィリアムは姉の死後に海軍に入隊し、ベトナム戦争で両足を失っているということ。車椅子に載ったウィリアムが一生懸命車輪を回してインタビューをしに行く光景は、痛々しくも執念を感じる。

 

そして、調査の結果うっすらと見えてきた真実はかなり複雑。まず、ニューヨークタイムズやレヴィットが指摘したとおり、当時の報道はかなり嘘と誇張が含まれていたというのは事実。当時の人々の中には、警察に電話をした人もいたようなのだ。ローゼンタールはこの映画にも出ているんだけど、ツッコミを入れられると「いやたしかにあの本は誇張も含まれているが人々の心に衝撃を与えたというのは真実でうんぬんかんぬん」とひたすら保身をするばかりで大変見苦しい。もちろん、ニューヨークタイムズが40年後にちゃんと検証記事を出したということも触れられており、報道に対するネガティブな印象だけが植え付けられるというわけではないが……。

が、じゃあ完全にキティ・ジェノヴィーズ事件が神話だったのかというとそういうともいえない。そもそも目撃者の「警察に電話をした」という話も簡単に鵜呑みにはできない。そしてラストの実験シーンはすさまじく印象的。ウィリアムは女優さんを雇ってある実験をしてみるのだが……このシーンはとてもよいシーンなので、ぜひ自分で見てみてほしい。

また、「38人の目撃者」とは無関係の部分でもさまざまな事実が明らかになるというのが、この映画をさらにややこしいものにしている。キティが結婚していたとかレズだったとか逮捕歴があったとか、犯人のウィンストンが脱獄していたとか刑務所で社会学の学士を取っていたとか、とにかく変な「真実」がどんどん明らかになっていく。この部分は、いかにぼくたちが事件に気を取られてキティのことを見ていなかったのかを明らかにしてくれる。

それでも、そんな中で取り憑かれたように真実を追い求めたウィンストンの姿は印象的。ポスト真実の時代だと嘆くだけじゃダメで、真実を追い求めるというのはこういうことなのだ。この映画はトランプ政権誕生のちょっと前に撮られた映画なので偶然だとは思うのだけど、このご時世にこの映画から学べるところは多いと思う。

 

映像表現として特徴的なのは、再現シーンにおける鉛筆の線画みたいな映像加工。それが再現シーンであるということをうまく誤魔化せていると思うので、わりと効果的。ちょっと「映像をガッツリ加工している感」が出てしまっているのは微妙だが……。

 

超ヤバい経済学

超ヤバい経済学

 
38人の沈黙する目撃者 キティ・ジェノヴィーズ事件の真相

38人の沈黙する目撃者 キティ・ジェノヴィーズ事件の真相