二重のパラノイアに取り憑かれたトンデモ奇書/ピエール・バイヤール『アクロイドを殺したのはだれか』

アクロイドを殺したのはだれか

アクロイドを殺したのはだれか

 

本書はなかなかの奇書だ。ただそれは、著者ピエール・バイヤールが、ロラン・バルトやジェラール・ジュネットの立場を引き継いで、『読んでいない本について堂々と語る方法』みたいに、能動的な読みを実践しているから、ではない。

たしかに本書は、物語理論研究家バイヤールによって書かれた、ポストモダン的な読みの実践ではある。そしてそれと同時に本書は、ミステリー小説家バイヤールによって書かれた、バイヤール探偵の活躍劇でもある。バイヤールはミステリーの本質を考察しつつ、『アクロイド殺し』の矛盾点を指摘、さらにそれだけにとどまらず、下手したら『アクロイド殺し』よりも面白い、たいへん意外な真実を「描き出す」。このような試みはとても刺激的であり、同時にラディカルな議論でもある。

ただ、ポモ的な議論もある程度知っているぼくから見ると、それはたしかにとてもラディカルではあるしとてもおもしろいのだけど、度肝を抜かれるというほどではない。バイヤールは『アクロイド殺し』の中でのエルキュール・ポアロの推理を「妄想的」と言い、同時に自身の読解も「同様に妄想的」と自虐するのだけど、ぼくには「正常に妄想的」であるように見える。

 

じゃあ本書のどこが奇書なのか? それは、本書の3つ目の側面である。本書は、精神分析学者バイヤールの書いた、精神分析学の本でもある(というかバイヤールって精神分析の人で、分析療法の実践までやってるんだね。知らなかった)。訳者曰く、バイヤールは「応用文学」なるものを提唱しているそうな。「応用文学」では、よくある精神分析学的読解みたいに、フロイト理論を援用して小説を読み解くんじゃないんだって。それとは逆に、文学作品の読解を通して精神分析理論を豊かにしようとしてるんだって。はっきりいって、ぼくには正気とは思えない。いやだって、どう考えてもイカれてるでしょ。

 さらに不気味なのが、バイヤールが物語理論研究家あるいはミステリー作家として描き出した『アクロイド殺し』の真実は、かなり論理的なものであるということ。そこでは、精神分析が読解に貢献するということはあっても、読解が精神分析を豊かにしているようには見えない(少なくとも凡人のぼくには)。本当にバイヤールは、この読解が彼の言う「応用文学」になると思っているんだろうか?

 そういうことを考えながら本書を読んでいると、だんだん本書の奇妙な面白さが見えてくる。それは、傍目には狂人にしか見えない人間が、圧倒的な勢いと論理性でそれっぽいことをべらべらと喋っている、という感覚に近い。バイヤールが自身のことを「妄想的」というのとは全く別の意味でバイヤールは「妄想的」なのであり、本書はそんな二重のパラノイアに取り憑かれたバイヤールの書いた、トンデモ奇書なのである。

 

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

 
アクロイド殺し (クリスティー文庫)