伴名練「白萩家食卓眺望」読書メモ

SFマガジン2020年04月号

SFマガジン2020年04月号

  • 発売日: 2020/02/25
  • メディア: 雑誌
小説の最後で、共感覚を後天的に身につけることができるという研究が紹介される。そしてそれを元にして、平太郎は味覚→視覚の共感覚を後天的に身につけたのではないか、という可能性が示唆される。

ところで、平太郎が共感覚を身につけていたとすると、それはどのような能力か? 当たり前だが、白萩家の料理帖に載っているような一部の料理(以下共感覚料理)が、たづ子と同様、美しい光景に見えるようになる能力だろう。

ただ、本当にそれだけか? 共感覚を得たものには、普通の料理が「時に黒い靄がかかり、時に血のような赤い飛沫が散り、時に泥のような茶色が視界を覆う、そうやって否応なしに見せつけられる『もの』」(伴名練「白萩家食卓眺望」『S-Fマガジン』2020年4月号、早川書房、p.12)のように見えるようになるのではないか。そうだとすると、平太郎が出征する直前、「一度は太りかけていたその身体は、元の通りかそれ以上の痩身になっていた」(p.20)原因は、たづ子の想像とは違い、共感覚を得た副作用となる。


おまけ。

このことを前提に考えると、たづ子が料理書や食品会社を通して、また「わたし」(一番外枠の語り手)がネットを通して、共感覚料理を広めたことが、まったく別の意味を持ってくる。共感覚料理は、共感覚者にとっては食事を苦痛なものでなくさせてくれる、すばらしい料理ではある。しかし、普通の人間にとっては、普通の料理が気味の悪い物体に見えるようになってしまうという、けっこう危険な料理でもある。

共感覚料理のレシピは、たづ子の時代までは白萩家に伝わる秘伝の料理帖という形で受け継がれてきた。そのため、共感覚料理のせいで普通の人が共感覚を持ってしまうということは(平太郎を除いて)なかった。だが、本や加工食品やネットという形で共感覚料理が提供された後、共感覚料理の影響はどんどん広まっていくのではないか? ちょうどクラヴィス・シェパードが虐殺の文法を英語で全世界にばら撒いたように。

……ということも考えてみたのだけど、まあちょっと苦しいよねー。よくよく読むと、共感覚で見えるものをイメージしないと共感覚は獲得できない(p.24)みたいだし。伴名練ならこういう仕掛けを用意していてもおかしいとは思わないけど、今回はそういうことはなさそう。

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

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