オタクの原作主義はフェミニズムと相性が悪い

要約

フェミニズムの、女性差別的な描写をなくすべきという思想は、オタクの原作主義と相性が悪い。そしてそれが原因で、「オタクはアンチフェミ」というように見えやすいのではないか?


ポケモンタマムシシティにいる、ジムを覗いているおじいさん、海外版だと修正されているそうな。
pokemon-matome.net
フェミニストが激怒するようなタイプの女性差別ではないとは思うが、海外版では修正しているのに日本版ではそのまま、という判断はよくわからない。修正するなら全世界統一で修正しちゃえばいいのに、と思う。



ところで、この件について考えているうちに、そもそもオタクの原作主義ってフェミニズムとだいぶ相性が悪いのでは、と思った。

一般的にオタクは原作主義的である(だいぶ雑な印象論なので反感あるかもしれないが許して)。もちろん人によって程度の差はあるが、多かれ少なかれ、オタクは原作を重視するという傾向はあると思う。

他方、フェミニズムの思想の一つとして、女性差別的な描写をなくすべきという考えがある。さすがに女性差別的な描写はすべて消せみたいなことは(ごく一部のアレな人を除いて)言わないと思うが、一般論として意図のない女性差別的な描写はないのが望ましいだろう。

この女性差別的な描写をなくすべきという考えは、原作主義とは相性が悪いように見える。フェミニズム的には、リメイクをする際に差別的な描写をアップデートするというのはごく自然な考えのはず(ぼくも個人的には賛成)。でも、原作主義からすると、(特にフェミニズムに関心がない人であれば)極端な女性差別ではない描写を修正しろという主張には自然と反感を持つだろう。


で、さらに大きな話をすると、このことは「オタクvsフェミニズム」の構図を多くの人が持ちやすいことの一因になってるのではないか? フェミニストでもミソジニストでもない原作主義オタクが、極端な女性差別ではない描写を修正しろという主張に反発する姿は、フェミニストからすると「オタク=ミソジニー」というように見えるだろう。

もちろん、この話は一因でしかなく他のことから考えてオタクはアンチフェミだろ、とか、そもそも原作主義には差別を黙認しやすい側面があるのでは、とかいろいろな批判はあり得ると思う。とはいえそういう背景を明らかにするのは、オタクにとってもフェミニズムにとっても有益じゃないかなー。

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