劉慈欣はSFっぽい世界を書くのが苦手?/劉慈欣『円』

たとえば「地火」。緊迫感のある現実の炭鉱をなまなましく描いており、炭鉱労働者と研究者の対比も良い。ところが、最後の最後で未来の話になった途端に一気にしょぼくなってしまう。あるいは「郷村教師」。主人公が過疎集落の教育現場になけなしの私財を投じて子供たちに尽くす姿は胸を打つものがある。でも、合間合間に挟まれる宇宙人のパートは、細かい宇宙科学の描写を除けばたいして見所もなく、現実パートへの没入に専念させてくれない。

『三体』を読んでる際にもうすうす思っていたんだけど、もしかして劉慈欣ってSFっぽい世界を書くのがあまり上手くない? 『三体』では、文革についての描写が評判よかったが、あれは未来世界の描写がそんなに面白くないことの裏返しなんじゃないかなとも思う。独創的なSFアイデアや『Ⅲ』終盤の完全にぶっ飛んじゃった世界とかわりと面白いのだけれど、普通のSFとしてのストーリーや描写は退屈だった。


そんな視点で読んだときに、間違いなく傑作といえるのが「円」だろう。『三体』1巻のVR世界のパートを抜き出し、修正を入れて短編小説化したものだが、完全にSF的なガジェットを省いてもSFが成立するという意外性と、『三国志』や『キングダム』のような中国的なスケールのデカさに、何度読んでもワクワクさせられる。似たような小説は他にもあるが、計算過程をかなり具体的に書いているという点で「円」が頭一つ抜けている。そして何より、SFっぽい世界とは正反対の時代を描いているため、アイデア部分以外も自然に書けているのではないだろうか。

その他、「バベルの図書館」の漢詩版を具体的に作っちゃった「詩雲」や巨大なシャボン玉を作るプロジェクトが意外なところに着地する「円円のシャボン玉」あたりはわりとおもしろかった。