家政婦の歴史と、木下古栗の受けたパワハラ

濱口桂一郎の新刊『家政婦の歴史』を読んだんだけどこれがとんでもなくすさまじい本で、労働法にひっそりと書かれた時代錯誤な条文が戦後から今の今まで生き残っており、なおかつそのことに誰も気づいていなかったということを丁寧に実証していくというたいへんな労作であり、労働研究者らのフェミニズムへの関心のなさ(さらに穿った見方をすれば、フェミニストの労働問題への関心の弱さも?)を暴いた本として強烈に印象に残る。新書の書き手としてはベテランの濱口の軽妙な語り口も相まって、サラっと読めるわりにとてもスリリングな本でたいへんおすすめできる。

ただ、おそらく濱口は意図していないだろうが、ぼくがこの本を読んで感じたのは、人間は思った以上に尋常じゃなく視野の狭い生き物なんだろうな、ということだ。本書を書くきっかけとなった家政婦の過労死裁判の弁護を担当している明石順平らも、本書の中で批判されているような官報などの著者らも、別に極端にフェミニズム的関心がないというわけではないだろう。彼ら彼女らはたぶん家政婦の問題を本気で「見落としていた」のであり、濱口があらためて整理してしまうととんでもなくアホに見えてしまうという側面もあると思う。

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なぜ市川沙央『ハンチバック』ではネットスラングが多用されているのか

市川沙央『ハンチバック』についてもういっちょ。

『ハンチバック』を読んでふと気になったのは、ネットスラングの多さだ。「◯◯み」とか純文で使う言葉じゃねーぞ。中卒の人間が大学の通信課程に通うのを「学歴ロンダリング」と表現するのは、だいぶ学歴厨が過ぎる*1。「裏オプ」とか文芸誌読んでる爺さん婆さんどもには通じなくないですか? 直接的な言葉選びから細かい文体まで、ところどころにネット文化圏の影響を感じずにはいられない。ツイッターとかで調べてみても、そのような感想を抱いた人は多少いるようだ。

で、これなんでなんすかね。

*1:ぼくもそれなりには学歴厨ではあるのだけど、学歴ロンダリングという言葉をこの用法で使うのはあんまり見たことがない気がする。普通学歴ロンダリングって偏差値の高くない大学から偏差値の高い大学の院に行くことを指すパターンが多いので。その用法よりも『ハンチバック』での用法のほうが一段きつい表現に感じた。

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なぜ市川沙央『ハンチバック』の冒頭には三文エロ記事があるのか

重度の障害を持つかたわら文學界新人賞芥川賞を受賞し、挑発的な記者会見も含めてたいへん話題となった市川沙央『ハンチバック』ですが、この小説の冒頭には「都内最大級のハプバに潜入したら港区女子と即ハメ3Pできた話(前編)」というタイトルの三文エロ記事が配置されている。内容もほぼタイトルから推察される通りのうさんくせーエロ話であり*1、この点だけでもだいぶ奇っ怪で物珍しい小説ではあるのだけれども。


ただ、本当にそれだけか?

*1:なお小説後半で、実はこのエロ記事にはちょっとした仕掛けがあることが明かされるのだが、その仕掛けについては本エントリーでは考えない。

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たいして面白くはないが、生成過程は気になる/フリー・グーグルトン『茹で甲斐』

木下古栗がフリー・グーグルトン名義で出版した電子書籍の2冊め。こちらはAIを利用して書いた掌編小説集で、曰く

文章はすべて「Perplexity」と「Deepl」を使用して生成され、その後、人間によって手が加えられたものです。各話の粗筋や設定は人間が考え、それをAIが英語で文章化し、機械翻訳で和訳しました。そして、人間が仕上げに味付け程度の推敲をしました。

とのこと。そういえば「サピエンス前戯」もAIに小説を書かせる話だったなあ、と思いつつ、古栗はわりと真剣にAIによる創作の可能性を考えているということがわかる。

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長編エッセイで振り返る木下古栗の20年/フリー・グーグルトン『高尾症候群』

「珍フルエンサー栗美」最終回でも予告されていた、ある意味で木下古栗の集大成ともいえるような長編エッセイ。これまで各種小説やエッセイで断片的に語られてきた古栗の思想が、有機的なつながりを持って一冊の本にまとまっている。

思想的には相当に過激なので、賛同できるかは微妙。たとえばポモ的な文芸批評の批判はまあいいとしても、そのアンチテーゼとして古栗が想定する「(人文)科学的な文学」は相当に偏狭なものなので、こんな文章を書いたぼくですら、全面的には賛成できない。とはいえ、こういう偏狭な文学観があるからこそあのような作品群を書いたというのはあると思うので、古栗ファンなら絶対に読むべきだとは思う。

1200円でも割高なのでは/「風ノ旅ビト」

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ゲームシステムやストーリーについて説明はほぼないが、まあふわっと雰囲気はわかるようになっており、まあこういうのもアリだとは思う。バイブレーションの使い方が特徴的で、キャラクターの移動などに合わせて微弱なバイブレーションを起こしているのは、表現の拡張としてけっこう好印象。

にしたって、このボリュームだとさすがに満足はできないかなあ。ロープライスゲーで1200円なんですが、それにしたって割高なんじゃないだろうか。ぼくは昔無料で配られたときに入手したので損した気分にはならないですが……。