「第四の壁」って伝わるの?/ティム・ミラー「デッドプール」

 映画自体はたいへんおもしろかったので大満足。アメコミ映画特有の疾走感で、デッドプールが雑兵どもをわりとえげつない方法で殺戮していくというのは、わりとレアな絵面なのではないか。

ところで、見ていたときめっちゃ気になったのだけど……「第四の壁」って通じるの?

もちろん、「第四の壁」を破るような演出が、小説・映画・ゲームなどの多くに積極的に取り入れられている、というのはわかっている。デッドプールがスクリーンの前のぼくたちに語りかけるという演出は、それ単体では、決して珍しいものではない。が、「『第四の壁』という言葉を物語の登場人物が使うこと」にはけっこうびっくりしてしまった。だってそんな言葉が、普通(?)のエンタメ映画で使われるなんて思わなかったもの。

二重のパラノイアに取り憑かれたトンデモ奇書/ピエール・バイヤール『アクロイドを殺したのはだれか』

アクロイドを殺したのはだれか

アクロイドを殺したのはだれか

 

本書はなかなかの奇書だ。ただそれは、著者ピエール・バイヤールが、ロラン・バルトやジェラール・ジュネットの立場を引き継いで、『読んでいない本について堂々と語る方法』みたいに、能動的な読みを実践しているから、ではない。

たしかに本書は、物語理論研究家バイヤールによって書かれた、ポストモダン的な読みの実践ではある。そしてそれと同時に本書は、ミステリー小説家バイヤールによって書かれた、バイヤール探偵の活躍劇でもある。バイヤールはミステリーの本質を考察しつつ、『アクロイド殺し』の矛盾点を指摘、さらにそれだけにとどまらず、下手したら『アクロイド殺し』よりも面白い、たいへん意外な真実を「描き出す」。このような試みはとても刺激的であり、同時にラディカルな議論でもある。

ただ、ポモ的な議論もある程度知っているぼくから見ると、それはたしかにとてもラディカルではあるしとてもおもしろいのだけど、度肝を抜かれるというほどではない。バイヤールは『アクロイド殺し』の中でのエルキュール・ポアロの推理を「妄想的」と言い、同時に自身の読解も「同様に妄想的」と自虐するのだけど、ぼくには「正常に妄想的」であるように見える。

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世にも珍しいメタ・フェイクドキュメンタリー/白石晃士「シロメ」

シロメ

シロメ

 

 振り返ってみると、ドッキリ映像を単に映画にしました、というだけの映画ではある。だが、監督が白石晃士であるということが話をややこしくしている。白石晃士といえばフェイクドキュメンタリーの作り手だ。だから、ドッキリのネタばらしが行われるまで、白石晃士ファンは「これはドッキリなのか? それともガチの演技なのか?」と悩み続けることになる。

そしてそのややこしい構造を支えているのは、ドッキリの仕掛け人側と思われる早見あかり。彼女のかなりうまい演技のおかげで、本格的に何が正しくて何が正しくないのかわからなくなってくる。そういう意味でこの映画は、世にも珍しいメタ・フェイクドキュメンタリーとなっている。

 

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愛すべきバカ映画/ドゥニ・ヴィルヌーヴ「華麗なる晩餐」

video.unext.jp

いやーすごいバカ映画。出てくる料理らしきものがやたらグロいのもあり、なんでかしらないけど大爆笑してしまいましたよ。ヴィルヌーヴもこんなバカ映画作るんだねー。

もちろん、ヴィルヌーヴがたったの10分に全力を注いだというのもあり、クオリティはさすが。特にガチャガチャガチャガチャと延々と続く咀嚼音の気色悪さったら、もうほんとにすばらしい。

意味のある妄想オチってめずらしー/ドゥニ・ヴィルヌーヴ「複製された男」

複製された男 (字幕版)
 

 世の中の大多数の人は妄想オチを嫌っている(はず)。妄想がセーフならなんでもありじゃねえかとか、いろいろな批判方法はあると思うのだけど、それらの根底には共通する意識がある。それは、妄想というパターンが何かを表現するための手段ではなく、目的となってしまっているという問題だろう。

 本作は珍しく、その問題をうまく回避している。ネタバ本作で登場する妄想は、明確な手段として存分に活かされている。これくらいうまくできた妄想って『ぼくは麻理のなか』ぐらいしかぼくは挙げられない。

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