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ソクラテスやニーチェなんか読まないで唯物論においでよ/戸田山和久『哲学入門』

 

哲学入門 (ちくま新書)

哲学入門 (ちくま新書)

 

唯物論的な「哲学入門」ってかなり珍しいんじゃないだろうか。かなり難解だけど、ぼくたち一般市民が哲学というものにどう向き合うかを考える上でも良書だと思う。ソクラテスニーチェを期待して読むと肩透かしを食らうかもしれないが、そういう人たちにはむしろ積極的に唯物論においでよと言いたい。

 

 そもそも。「哲学入門」という名前の本を見たときに、人はどのような内容が書かれていると想像するだろうか。ぼくは①えらーい哲学者の哲学の内容を解説した本、②割りと古典的な「問い」を集めたような本の2つを思い浮かべがちだ。

①えらーい哲学者の哲学の内容を解説した本。ぼくはこの手の本はもうほぼ読まないんだけど、貫成人『図解雑学 哲学』みたいな本といえば通じるだろうか。ソクラテスとかニーチェとか、名前だけは知ってるけどどんなことを言ってるのー? っていう問いに対して優しく答えるみたいな本、最近本屋でよく並んでるよねー。おんなじような本ばっかり並んでる印象があるんだけど、本当に売れてるんだろうか。

②割りと古典的な「問い」を集めたような本。たとえば野矢茂樹『哲学の謎』なんかが典型例だろうか。「人生ってなーに?」「意味ってなーに?」「自由ってなーに?」みたいな「問い」を集めて、「人生についてはこのえらーい哲学者がこれこれこんなことを言ってるよー」っていう風にあっちこっちからつまみ食いするような本。

 

さて、これらの本に対して、ぼくは割と前から次のような疑問を抱いていた。そんなこと学んでどーするの?

これらの類の本を読んだことのある人は、「え? この本に書いてあるテツガクとかいうもの、ぼくも中学生ぐらいのころ考えたことがあるよ?」と思ったことが多いのではないか(いやもしかすると実はぼくがものすごく優秀で、一般的な人は誰もこんなテツガク的な考えをしないのかもしれない。でも、2ちゃんねるのしょーもない哲学スレみたいなのを見ると、そういうテツガク的な考えって割と多くの人が考えてるんじゃないだろうかと思う)。そういうことを一旦思っちゃうと、②みたいな本はすっごくくだらないものに思えてしまうんじゃないかな。

 

そしてそれは別に、過去のえらーいテツガクシャ様が、実はぼくたちと同じくらいの頭の良さしかない、ということを意味しない。いやもちろん2000年以上前に地球に生きていたソクラテスと、今生きているぼく(を含む多くの一般人)を、今の基準で頭の良さを測れば、当然ぼくたちのほうが頭が良いという結果が出るけど、それは時代背景を無視している。というか、ソクラテスみたいな哲学者が偉大だからこそ、彼らの思想は言葉を通じてどんどん広まり、ソクラテスのことは知らなくてもソクラテスの思想をなんとなーく知ってるみたいな状態になる、というようなことがありそうだ(ガリレオ・ガリレイが何をやった人か知らない人でも、地球が公転していることは知ってるのと同じように)。

しかし、だからこそ、①のような本を読んでも、「だから何?」っていう感想を抱くのはけっこう普通だと思う。なんとなくぼくたちが知ってるようなことを過去のえらーいテツガクシャ様がこれこれこういうことを言っているのでしたー、とかいわれても、たいして意味はないだろう。

 

一応繰り返し注意しておくけど、ぼくは別にソクラテスニーチェのことをバカにしているわけではない。彼らがその時代にどのようなことを考え、どのような道筋を経てぼくたちが持っているような考えに至ったのか、というのを彼らの本を読んで知るのは大事なこと。そしてそういうものの理解の補助として、「ソクラテス入門」「ニーチェ入門」みたいな本も一定の必要性はあると思う。

でも。それをわざわざ「哲学」でくくる意味はないでしょう。ソクラテスニーチェやその他色々の哲学者の思想の表面をすくっても、そこにはぼくたちが考えているようなことと大差ないような話しか出てこないだろう。

 

閑話休題

さて、この戸田山の本は、一応形式的には②に分類される、と思う。でも、一般的な②の本とはぜんぜん違う本だ。それはなぜか? 理由は簡単で、この本が依拠しているのがソクラテスニーチェやカントではなく、デネットドーキンスやミリガンからだ。

この本が取っている方針は、戸田山自身が言うところによると「唯物論的・発生的・自然主義的観点からの『哲学入門』」(戸田山和久『哲学入門』ちくま新書、2014年、p.34)だ。残念なことに、これまでそういう海外の哲学をまとめて紹介する人はなかなかいなかった。山形浩生とか稲葉振一郎とかみたいな人や、この本で取り上げられている本の著者は、こういうネタを頑張って紹介しているとは思うんだけど、「哲学」という形でまとめてはくれなかった。だから、本職の哲学研究者がこういう本を書くのは、とても立派なことだと思う。

また、唯物論的なアプローチは、ある程度の科学性を保証してくれる。どんどん科学というものが進歩する現代において、えらーいテツガクシャサマのお言葉の正しさというものはどんどんなくなっていくと思うので、今のうちに唯物論に乗り換えておいたほうが安全そうだし、応用性もあるし、ぼくたちの生活にも(比較的)役に立てやすいのではないだろうか。

 

 もちろん、「唯物論的、発生的、自然主義的」哲学は、結構難しい。それに加えて、著者はデリダみたいに読者を煙に巻くような言い逃れはしない。なので、この本全部を理解するのは相当難しいはずだ。ぼくも、「情報」「表象」あたりのテーマはチンプンカンプンだ。ぼくは進化論オタクなので「意味」「機能」あたりはすんなり理解できたけど、進化論オタクでないひとはここらへんの理解も難しいのかもしれない。

ついでに、大学受験向けの講義系の参考書みたいな語り口は、ただ冗長なだけでむしろ読みにくい(『科学哲学の冒険』なんかだとわりとうまくいってたんだけどなあ)。あと、伊勢田哲治による詳細な批判とかもあることも言っておこう。

 でも、それらの問題点があるからといって、唯物論的なアプローチがダメなわけではない。むしろそのような批判を出発点に、新しい「哲学」を切り開くべきだろう。そしてその原点・たたき台として、戸田山の『哲学入門』は貴重な本なのだ。

 

 

哲学 (図解雑学)

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哲学の謎 (講談社現代新書)

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