『三体』が「傑作」と評価される理由と、それでも『三体』が面白い理由
要約
『三体』は様々な理由から「傑作」という過大評価を受けているかもしれないが、「面白い小説」ということには変わりないと思う。
1.はじめに
こんなツイートを読んだ。
『三体』、自分の周りのSFファンの人達も「これ、普通につまらない小説でしょう。SFアイデアも陳腐だし、最後のワイヤーアタックとか失笑もの。文革のパートが少し面白いだけ」とか言ってて、自分も強く同意するし、何が面白いのかさっぱり分からなかったのだよね。
— WARE_bluefield (@WARE_bluefield) 2020年12月15日
これは言うと非常にマズイのだけど、この小説、出自が「デリケート」なので、中立的な批判を公言できない感じがあって、そして「デリケート」な小説を好きな文芸評論達が定型句となってる社会学的な言語の確認作業を行いながら褒めてる、ゲロゲロ構図があると思う。
— WARE_bluefield (@WARE_bluefield) 2020年12月15日
わりと痛いところをついている。WARE_bluefield氏の言っている通り、劉慈欣『三体』は、中国SFだからという理由で過大評価されている側面はあるにはあると思う。
ただ、『三体』は、「中国SFだから」以外にも、作品自体のクオリティとはあまり関係ない要素がことごとくプラスに働いており、結果「傑作」という過大評価を受けているようにも思われる。また、それらの要素とはまったく別の理由で、『三体』は「面白い小説」ではあると思う。
ということで、本エントリーでは『三体』が高く評価される理由と、『三体』の面白さについて考えてみる。
2. 『三体』が高く評価される理由
まず、『三体』が高く評価される理由について、いくつか穿った視点で挙げてみた。もちろん邪推の入り混じった推測ではあるが、とはいってもそこまで的外れではないと思う。
2-1.中国SFだから
WARE_bluefield氏が言っている通り。まあ中国作家の作品ということで、批判はしにくいだろうなあというのは推察できる。
2-2.オバマが褒めたから
バラク・オバマという面白小説発掘おじさんがいるのだけど、彼が『三体』を褒めたのはけっこう話題になった。たいへんなビックネームであるオバマが『三体』を評価したことは、他の人々の『三体』に対する評価に少なからず影響を与えていると思う。
ただし一応オバマを擁護しておくと、彼の読書センスはかなりいいと評判である(テッド・チャン『息吹』、コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』など)。ぼくは、オバマによる評価が独り歩きしている、ぐらいのニュアンスで考えている。
2-3.長い小説だから
ペーパーブック版 "Death's End"(『三体Ⅲ』)はペーパーブック版 "The Dark Forest" (『三体Ⅱ』)より150ページくらい多いので、日本語訳『三体Ⅲ』は上下巻になるはず。すると、全体でハードカバー5冊分ということになり、これはかなりの大作である。
身も蓋もない話になってしまうが、それなりに面白くてめちゃくちゃ長い小説を読んだ人は、その小説を「傑作」と評価しがちだと思う。膨大な量の小説を書いたこと自体に対する賛辞というのもあるだろうし、読むのにかかった時間がサンクコストになっているというのもあるかもしれない。
2-4.劉慈欣が日本SF贔屓だから
劉慈欣は、小松左京の愛読者であったり、『三体Ⅱ』に田中芳樹『銀河英雄伝説』からの引用があったりと、割と日本SFに言及するSF読みである。日本SF贔屓ですと言われたら、劉慈欣に対する好感度も上がるよなあとは思う(まあ2-1とは若干矛盾する感もあるが)。
2-5.「円」が傑作だったから
「円」(ケン・リュウ編『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』収録)という劉慈欣の短編小説がある。これは『三体』1巻のVR世界のパートを抜き出し、修正を入れて短編小説化したものだが、これがとんでもない傑作である。『三体』1巻ではVR世界の中での話として進められたエピソードが、VRみたいな何でもありな設定がなくても成立するという意外性と、『三国志』や『キングダム』のような中国的なスケールのデカさに、けっこうな人数のSF読みが衝撃を受けたはず(「円」は星雲賞短編部門も受賞している)。
日本で『折りたたみ北京』が発売された1年半後に、日本語版『三体』1巻が発売されている。「円」の衝撃に引きずられた人はわりといるんじゃないか(ぼくは引きずられた)。
3.『三体』の面白さ
といろいろな要素を挙げられたことからもわかる通り、ぼくは『三体』を「傑作」だとは思っていない。「強靭な知性により世界の未来を見通した、全人類が読むべき大作」みたいな評価は、うーんそう言いたくなる気持ちはわからんでもないけどちょっと過大評価なんじゃないかなーと思う。
ただその一方で、ここまで挙げた諸々の理由は抜きにしても、『三体』は面白い、とも思う。その理由をいくつか挙げてみよう。
3-1.文革モノとして面白いから
文革パートの面白さは多くの人が認めるところだと思う。また、文革という過去は『三体』1巻の結末に綺麗に接続されており、文革がちゃんと小説の構造に組み込まれているのも良い。
3-3.バカSFとして面白いから
『三体』1巻のVRパートとか、『三体Ⅱ』で人類が延々と足の引っ張り合いをしたり、羅輯が面壁者としての立場を悪用してやりたい放題するところとかは、バカSFとしてかなり面白いと思う。ただしバカSFは好き嫌いが分かれやすいジャンルなので、否定的な意見もわかる。また、バカSFは「傑作」っぽくはないとも思う。
3-4.読みやすいから
海外SFの中ではぶっちぎりで読みやすいと思う(いや、国内SFと比較しても読みやすいかも)。劉慈欣の原文が読みやすいからなのか、中国SFの英訳に定評のあるケン・リュウが英訳したからなのか、日本語訳者陣のおかげなのか、大森望の改稿があったからなのか、細かい理由はわからないがとにかく読みやすい。もちろん小説の読みやすさが必ずしも小説の面白さに直結するわけではないが、まあ、『三体』の読みやすさは面白さに貢献しているでしょう。
4.結論
ということで、「『三体』は傑作か?」といわれると正直疑問符はつくが、「『三体』は面白いか?」といわれたら、ぼくは堂々と「面白い」といえる。やはり「面白い小説」ぐらいが妥当な評価なんじゃないでしょうか。