『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』がウケた理由はなんだろな/ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』

相変わらずすばらしいエッセイの数々で、中学生の子供の目を通して、底辺気味のイギリス社会を悲しくも美しく描いている。政治だとか差別だとかを勉強するならまずはこの本を読ませたいという感じで、とてもよいエッセイ集でした。

ところで、これ『2』が出るほどヒットしたんだね。では、なんでこんなにウケたんだろうか。もちろんブレイディの書くエッセイのすばらしさは間違いないのだけど、それは彼女の他の著作にもいえることのはず。じゃあ、他のブレイディの本とこの本の違いは何なのだろうか。

ブレイディは、松尾匡とか山本太郎とかと思想的には近い、いわゆる「反緊縮派」のひとりだ。そしてこの「反緊縮」というのは、基本的には今まであまり歓迎されてはこなかった(最近は風向きが変わりつつあるけど)。基本的にまっとうな知識人は、経済については財政赤字ハイパーインフレを憂いていればよく、緊縮政策はそれらの恐ろしい経済破綻の処方箋だった。

もちろん、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は別に反緊縮と矛盾しない。それどころか、イギリス底辺社会の現状の原因は基本的に、保守党やブレア政権の緊縮政策に求められている。でも、その緊縮批判のトーンは、たとえば共著『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』なんかと比べるとはるかに控えめだ。ついでにいえば、反緊縮反緊縮とうるさいのは彼女だけで、息子は特にそういうことを言うわけではない。

そして、その控えめさが、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』をベストセラーに押し上げたんじゃないだろうか、とぼくみたいなひねくれ者は邪推してしまうのだ。この本で描かれる、差別に徹底的に抵抗して、そして反緊縮なんていう不快なことを言わないブレイディの息子に、みんな感動しているのではないだろうか。そう考えると、ぼく自身はブレイディの思想には共感しているものの、この本をきっかけにブレイディがベストセラー作家様の仲間入りを果たしたのは、そこまで喜ばしいことではないのかもしれない、と思ってしまった。