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史上初の「社会派エロミス」誕生!!(?)/早坂吝『誰も僕を裁けない』

 

誰も僕を裁けない (講談社ノベルス)

誰も僕を裁けない (講談社ノベルス)

 

 前作『虹の歯ブラシ』のインパクトですっかり忘れてしまっていたんだけど、早坂の処女作『○○○○○○○○殺人事件』は堅実な面を持っている。シリーズ三作目である『誰も僕を裁けない』は、『○○○○○○○○殺人事件』からタイトル当てというクソみたいなプロモーション用のネタを取り除いた感じで、インパクトは明らかに弱いけれども、手堅くまとまってると思う。

ネタバレあり。『○○○○○○○○殺人事件』のネタバレもしているので一応注意。

 

 

 

 

 

 

 

 

文章はもういいとして、思ったよりも中盤くらいまでの話が単調。処女作はエロミスの目新しさで、前作は短編集という形式からかあまり気にならなかったんだけど、慣れるとかなり単調に感じた。

 

この作品のミソは、 らいちパートに出てくるミステリーのお約束が、現実問題としての戸田パートをぐにゃぐにゃ歪めていくところ。戸田は裁判や法という制度そのものと戦おうとしていたはずなのに、いつの間にか上木らいちという本格ミステリのルールによって敵を失ってしまう。この不条理さはすさまじい。ミステリーでなければ戸田は(勝つにしろ負けるにしろ)戦うことはできたはずなのだから。

でも、その不条理さをきっかけに戸田が目標を獲得し、微妙に成長しているっぽいところがいい。エピローグとか、ちょっと蛇足感はあるが、読後感は決して悪くない。

さらにいえば、このシリーズの代名詞でもある「エロミス」は、前作前々作では単なる飾りでしかない。でもこの作品では、それを作品の根幹となる設定に昇華することができていた。そこもいいところ。

 

 

おまけで愚痴。ぼくは、公式紹介文の「史上初(?)の『社会派エロミス』誕生!!」などといった言い方に、かなーり疑問がある。だって……『○○○○○○○○殺人事件』って「社会派エロミス」じゃなかったの?

『○○○○○○○○殺人事件』の優れているところは、ミステリーのお約束であった「孤島」や「叙述トリック」という装置をマイノリティの問題につなげていることだ、とぼくは思っている。裸族はくだらないものには見えるけど、本来私有地で裸になろうが何しようが関係ないわけだし、それに対する差別的な視線はどう考えても不当なものだ。それは各種差別がどーたらこーたらに通じるものだし、筒井康隆の某作品や殊能将之の某作品でも取り上げられたものだと思う。

でも、『誰も僕を裁けない』に対する認識を見るに、『○○○○○○○○殺人事件』は「社会派エロミス」だと思われていないようだ。もちろん言葉の綾かもしれないし、誰が何を「社会派」と認識するかは自由である。あと、完成度でいえば『誰も僕を裁けない』のほうが上かもしれない。でも、ぼくは『○○○○○○○○殺人事件』は間違いなく社会派ミステリーだと思っていたし、ついでにいえば『虹の歯ブラシ』もオチの部分でちょこっと社会派っぽい視点を使っているし、法哲学っぽい話が社会派になるのなら当然差別の話も社会派になるとぼくは思ってしまった。だからかなり腑に落ちない。

 

 

さらにおまけ。この小説には「遺伝ティティ」というアーティストの「自殺反対」という楽曲と、それに関するちょっとしたエピソードが出てくる。

「♪死んだら負けだ

 ♪死ぬ勇気があったら闘えばいい

 ♪大切な人の顔思い出せ

 感動的なバラード調で歌われる。タイトル通り、自殺反対のメッセージソング──と世間では思われている。だが僕の解釈は違う。

 この曲はラストで突然ダークな感じに転調する。ギターが乱暴に刻むリフがだんだん大きくなっていき、そして不意に消える。その後、ヴォーカルがポツリと呟く。

 ♪そんな言葉に今さよならを告げる」(『誰も僕を裁けない』kindle版、58)

で、どうやらこれが叙述トリックらしいという話が続くんだけど、ここでかなり不思議なのは、この叙述トリック(?)を見抜いた作中の人物が2人しかいないこと。しかもこの話は何回も繰り返される。

ぼくたちってそんなリテラシー低かったですか????? うーん、ここも腑に落ちない。ぼくたちってミステリー作家にそう思われてるのか……。